※第3話には、静止画なのに動いて見える錯視図形を掲載しています。乗り物酔いなどを起こしやすい方は注意が必要です。万一気分が悪くなることがあればこのページから離れてください。
(参照元:北岡明佳教授の錯視のページ)
あるテレビ取材で語られていた北岡明佳教授の言葉が今でも印象に残っています。
「プリンターで印刷すると錯視(さくし)は弱くなるんです。ところが、鷲野さんの染めだと普通のプリンターでやるよりもずっと力強く動くのでおもしろいと思いました」
まだまだ結果は出せてへんけど、やってきてよかったと素直にうれしかった瞬間でした。
今から約20年前、懇意にしてもらっていた京都にあるオートの染工場の技術部長に「鷲野くん、今こんなん染めてんねん」と見せてもらった生地に衝撃を受けました。平面のデザインやのに凹凸にプリントされているように見えたり、1色染めが多色に見えたり、当時にしては斬新なプリントでした。
「俺もこんな染めをやってみたい!」
自分のなかで「目の錯覚」が染めのテーマになった瞬間でした。
技術部長に捺染内容を聞いてみると、従来の染めるという概念から考えるととんでもない発想で、自分の想像をはるかに超えていた。うちでは使わない材料や道具、それと型のトレースを描く技術、センス、アイディア、ほんでそれを売っていく営業力。そして機械捺染の圧力の設定も含めて全てにおいて人間の手による捺染では無理やと思っている自分がいました。でも、一方では「目の錯覚」が忘れられない自分もいたんです。
※型屋さんのトレースとは、染工場から図案(デザイン)を渡され、1色、1色、色ごとにデータ上で描き写す作業。たとえば5色で構成されている図案であれば5色分のトレースを描くことになる。
「目の錯覚」を染めのテーマにしてから10年以上経った2012年の12月でした。仕入れ先の染料屋さんから仕事の相談にのってほしいと頼まれ、ある型屋さんに行きました。相談を受けいろいろと話をしていくうちに、その型屋さんは約20年前に見た「目の錯覚」の型を作っている会社だったのです。
その型屋の社長の息子さんこそが、その斬新なトレースを描いている張本人でした。僕は、息子さんに「目の錯覚を起こさせるようなデザイン描ける?」と聞いたところ、しばらくして、目の錯覚を使ったあるデザインをパソコンからプリントアウトして持ってきてくれました。
北岡明佳教授の制作による「蛇の回転」錯視図形
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これには驚きました。
これまで体験した以上に錯覚を起こさせるデザインでした。それこそが、現在お世話になっている立命館大学総合心理学部北岡明佳教授がデザインされた代表作「蛇の回転」やったんです。「なんで動いて見えるんや? 世の中にはとんでもない図柄を考える人がいるもんやなあ」と感銘を受けました。僕はまだ北岡教授の研究テーマである「錯視」の存在を知りませんでした。
ただ、よう動くんです。オートの染工場が染めていた「目の錯覚」に見えるプリント生地をはるかに超えたデザインでした。
帰り際に型屋の社長からその型屋さん特有の目の細かい試験型を提供してもらいました。「鷲野さんのところでうまくいくか一度やってみてください」という感じですね。型屋の社長からすれば「営業」でしたが、僕からすればひとつのチャレンジでもあり、チャンスでもありました。もし、この型屋さんの目の細かい型で僕の手捺染(ハンドプリント)試験がうまくいけばうちでできるデザインの幅も広がるし、細かい部分も鮮明に表現できる。従来、鷲野染工場でやってきた捺染から進化した捺染ができるようになる。実は1年半前に、これまで数多くの友禅図案を収集されてきた立命館大学の木立教授から友禅図案を活用したプリントができないかと相談を受けていました。もしこの試験がうまくいけば、この型屋さんと協力して友禅図案の応用に着手できると考えたんです。
その型は、京都の服地を主体にした手捺染の工場はまず手を出さないものです。その理由としては、型に張ってあるスクリーンメッシュ(紗)の細かさにあります。京都の染工場で一般的に使われている型のスクリーンメッシュと比べて、倍以上細かい物を使っているので従来使用している糊(染料と混ぜて色糊にして生地に染める材料)、道具では通用しないんです。細かいスクリーンメッシュの型で染めるときは、それを通過させる粒子の細かい糊(糊材)、捺染するときの圧力、それに耐えられるスキージ(ゴムべらの道具)のゴムの硬度が必要になってくる。
オート捺染の場合、捺染時の圧力の設定が可能なので、一般的には手捺染工場が使用する型よりも細かいスクリーンメッシュで捺染します。また、手捺染において服地の場合は、生地が多品種(ポリエステル、綿、麻、ウール、シルクなど)になり、表面に細かい凹凸感のあるものや、毛羽だったものを扱うことになります。そういった生地にメッシュの細かい型は向いていませんし、高度な技術と材料についての知識が必要です。特に京都では、いろんな生地を安定して染められるように、型のスクリーンメッシュは700~800のものを使うことが多いんです。
しかし、うちの場合は素材の表面がフラットでかつ種類が一定している雨傘を主体に染めていたので、その強みを生かし、以前(1996年)から1000メッシュの型で捺染することを取り入れていました。そういう意味では、少し準備はできていたけど、提供してもらった型は人間の手で染める限界(約1000メッシュといわれる)を大きく超えていました。もっとも細いもので2000メッシュ以上のものもありました。
※1000メッシュとは1inch(2.54cm)の正方形の中に100本の糸が縦横に織られているスクリーンメッシュのことで、縦横100マスの小さな正方形になっている。700メッシュの場合は1inchの正方形の中に70本の糸が縦横で織られている。
翌日に、わくわくしながら試験をしてみると想像以上に捺染ができました。「この細かいメッシュで上下左右ともに均等に染めれてる、これはやれる!」と判断しました。さっそく、型屋さんに連絡しました。
「手捺染でもできるんですね!」と型屋さんの社長も驚いてはりました。いろいろと話すなかで構想も膨らみ、相談を受けていた友禅図案の活用を考えました。まだ友禅図案を使用できるかはわからんかったけど、型屋の息子さんのトレースを描く技術とセンスを活かして友禅図案をアレンジして染めることのアイディアが広がりました。こうなると実現の可能性に気持ちは高鳴るばかり。
2013年も残り1週間のときに木立教授に時間をつくってもらいました。技術の説明や図案のアレンジの提案などの材料になるように、型屋さんには、インパクトのあるプリント生地を持ってきてほしいとお願いしました。当然、プリント生地は錯覚を主にしたものです。
木立教授の研究室におうかがいして、その生地を説明しているときに、木立教授から「これは錯視ですね。錯視だったら、この大学に有名な先生がおられるから、今度紹介しますよ」と言われました。そのときに初めて「錯視」という言葉を耳にしました。最初は言葉の意味がわからなかったけど、話の流れで、僕が言っていた「錯覚」のことを話しているのを理解しました。そして、北岡明佳教授のお名前もそのとき初めて知ることになりました。
年が明けて、大学は後期の試験、その後入試の時期にはいりました。そして長い長い春休みを終え、キャンパス内も少し落ち着いた5月2日(2014年)に北岡教授を訪問しました。ずっとテーマにしてきた「目の錯覚」のデザイン(錯視図形)を研究している先生と初めて会う、それまで長い4か月でした。
研究室に入ると、北岡教授が研究されている錯視図形をプリントアウトした紙がたくさん壁に貼ってあって、「蛇の回転」を染めた黒いTシャツがかけてありました。しかし、お世辞にも「よい染め」といえるものではありませんでした。
おうかがいしたときは、木立教授の授業を専攻している学生さんも同行していたので、自分の思いを伝えるきっかけはありませんでした。そこで、帰社してすぐにお礼のメールを送り、1週間後に型屋さんと再訪問するアポを取り付けました。僕の頭の中には、北岡教授の「錯視図形」のデザインが広がっていました。
再訪のときは、初めて錯覚のデザインと出会ってからのことや自分の思いや会社の状況、京都の捺染業界の現状と将来性などを話しました。そして、僕は新しい挑戦として、北岡教授に「先生の錯視図形をうちで染めさせてくれませんか?」と申し出ました。
「鷲野さんのお気持ちはわかりました。いいですよ」
北岡教授は快く承諾してくださった。
立命館大学総合心理学部 北岡明佳教授
※転載不可
捺染業界はオート捺染の小ロット化が当たり前になり、インクジェットは日進月歩で改良改善され普及していきました。より安く、より簡単に染めができる環境になっていくなか、手捺染工場の存続を模索し、「自社企画で生地に染めて商品化せんとあかん!」という思いがとても強かった。けど、染めることはできても新しくデザインを考える能力を僕は持ち合わせていません。そんな状況で、世界中どこを探しても簡単に真似のできないデザインを鷲野染工場で染めることができる。計り知れないほど大きな一歩をふんだ瞬間でした。めちゃくちゃうれしかったし、それと同時に責任も感じました。
余談ですが、北岡教授との出会いは外から見たら「たまたま」、つまりは偶然です。縁とはそういうものかもしれません。しかし、僕は偶然だとは思っていません。目指すものに対して真摯に向き合っていれば、必然となるのではないかと思います。その縁を手繰り寄せることをしてきたのではないかと思っています。これまでやってきたそれぞれの「点」が、線になった瞬間、そんな感覚でいるんです。
「目の錯覚」をテーマにしてから約15年が経っていました。錯視図形を染めはじめた頃は、「どうしたらより動くか!?」ばかりを考えていました。まずは北岡教授に認めてもらうことが先決やと思ったんです。北岡教授の研究の質を落とすようなことがあってはあかん、迷惑は絶対かけられへん。
代表作「蛇の回転」で何度も何度も捺染の試験をしました。染料の配合はもちろん、新しい糊で試してみたり、道具も今まで使ったことがないものを新しくオーダーしたり、生地もいろいろと取り寄せたりしました。染めて、蒸して、洗って。改良改善、改良改善と、何度もくり返しやっているうちに、錯視量が多いのか少ないのかわからんようになりました(笑)。
とりあえず、北岡教授に試験した生地を見てもらうため、再び研究室を訪問しました。捺染の説明を北岡教授にお伝えして、教授からもご意見をいただき、自分の中で及第点はもらえたと記憶しています。会話のなかでところどころ驚かされたのは「京都のプリント業界の人間よりもはるかにプリントを評価できる人やなあ」ということ。せやし、よい緊張感をもつようになりました。
その年の初夏に木立教授が企画されたある大きなイベントがあり、そのときに友禅図案をアレンジした柄と小さな型で製版した北岡教授の錯視図形「動くハート」の柄を染めて展示しました。一応、プリントしたハートは動いたので安心しましたが、色を変えると動いて見えないものもありました。色のパターンを変えるだけで動いて見えないことに初めて気づき、錯視図形のデザイン性だけではなく色の重要性を改めて理解した瞬間です。でも、僕は色にはこだわって捺染の仕事をやってきたので、うちの強みを生かせるチャンスやと思った。過去には材料、特に糊には、他社とは比べものにならないくらいの時間とお金を試験に費やしてきました。糊は染料、蒸し、洗い、型、染める人など工程すべてにかかわりを持つ重要な材料です。
柄(デザイン)を染めるのに必要なのは色糊です。染料を溶かして糊と混ぜることによって色糊ができます。その色糊を1色1色(1型1型)染めていき、ひとつの柄が完成します。糊によって色の深みや鮮明度が違ってきます。
僕は染料で色を出すというよりも、糊で色を出す感覚で捺染をしている。
木立教授のイベントのなかで、同大学の映像学部の先生とご縁があり、その流れでまた別のイベント出展にお声がけをいただきました。その展示会に、うちの主力であった傘生地のノウハウを活かし、北岡教授の錯視図形を使用した「日傘」を提案したころ、映像学部の先生に快諾を得ました。ここに、うちの代表作ともいえる「錯視と日傘」が生まれたんです!
錯視図形を使った初めての商品開発でした。選んだ柄は「ガンガゼ」と「ローラー」。
北岡明佳教授の制作による「ガンガゼ(左)」と「ローラー(右)」錯視図形
※転載不可
「ガンガゼ」を選んだ理由は、人気歌手レディー・ガガさんがアルバム『アートポップ』の盤面に使用していたというのもありますが、それを実現できるだけの技術者との出会いが決断の大きな要因となりました。その年に、ある傘縫製屋さんと出会いました。その高い縫製技術、かつ貪欲なもの作りをしている姿勢を見て、「ガンガゼ」の傘ができると判断しました。これも点が線になっていく出来事だと思います。
そして、「ローラー」は北岡教授の作品のなかでも僕自身が気に入っているデザインで、傘にすればおもしろいと思ったんです。
どちらの傘も展示会用に各1本作ってみました。しかし、すぐに商品化するわけではありません。焦らない、どうすればいいか無理に答えは出さなかった。この錯視と日傘の商品についてはいろいろな人から提案を受けました。でもしっくりいく話はひとつもなく、受けた話の内容は、感覚的に商品の寿命を縮めると感じたんです。
簡単に言ってしまえば金になる、そんな話ばかりです。価値を見出して、商品を育てるという考えはありませんでした。たんなる消費物です。僕は納得がいかなかった。一過性のものではなく、長い目でもってそのものを見る。ある時期だけに注力し広告して、それが終わればまた新しいものへと移る。僕の考えは違います。極端な話ですが、後世にまでその価値をつないでいく考えが大事だと思っています。北岡教授の生み出された錯視図形はそういうものだと強く思っています。
翌年(2016年)、初めて単独で展示会に出展し、それから少しずつ展示会の規模を広げていき、そこで感じたことや考えたことを商品の改良改善につなげていきました。
2017年2月に開催された東京の展示会に初出展するのに「ガンガゼ」と「ローラー」の配色数も増やし、新たに染めて、いつもの職人さんに傘縫製をお願いしたときのことです。
打ち合わせをしているときに、「二重張りの傘をつくってあげる」とその縫製職人さんから言ってもらいました。二重張りの傘とは、傘の内側にまた別の染めた生地を縫製することで、傘をさす人は内側のデザインも楽しめます。この二重張りの技術はその傘職人さんが発案されたもので、実用新案を登録されています。僕が改良改善に力を注いでいることを評価してくれはったんやと思いますし、その人もそういう性格です(笑)。うちにしかつくってもらっていない逸品となり、これで展示会でも勝負ができると思いうれしかった。
東京での展示会では、大きなビジネスには結び付かなかったけど、いろいろな業種の人たちと名刺交換ができたことは勉強になったし、錯視図形の染めをやっていることを知ってもらえたのは大きな宣伝になりました。
その3か月後の5月、高校のラグビー部の後輩2人のすすめで、「京都府×三越伊勢丹ものづくり事業」に応募しました。書類審査が通り、二次審査で初めて百貨店のバイヤーと面談。MDを含めて5人に簡単な商品説明をしました。当然二重張りの縫製もアピールし、傘を広げたときのバイヤーの声は「今まで見たことがない」と想像以上に評価が高かったのはうれしかった。錯視図形と二重張りの傘は今までにない組み合わせで、他社が簡単に真似のできない傘だと思います。改めて自分が進んでいる方向は間違ってへんと思ったし、百貨店のMDやバイヤーに評価されたことは自信になりました。
錯視図形と二重張り日傘――この日傘に辿りつくまでに僕は大きなことを学んだ気がします。錯視図形というデザインとそれを活かす職人の技術が必要だということを実感しました。これらは僕にとって最高のアイディアであり、それを実現可能にする職人の技術が、そのものに価値を生み出してくれる。
具体的な数字としての結果はこれから伸ばしていかなあきません。しかし、そういった方向性に気づかせてもらったのは大きな財産になりました。現状に満足することなく、打開し、進化させていくために自分自身でいろいろと物事を考えて行動していくことも学びました。
展示会を中心にした活動の中で、錯視図形をそれまでの「より動くにはどうするか」を中心とした製作から、配色やデザインを中心とした「アート」へと考えを変えました。北岡教授が考案されたデザインは後世に残るものやと思うし、「アート」として配色、捺染、商品開発をするほうが今後の展開に良いと思いました。
「京都府×三越伊勢丹ものづくり事業」では三越日本橋本店、三越銀座店、伊勢丹新宿本店などに出展させてもらい、京都大丸も3年連続で声をかけてもらっていて、展示会も初出展の頃からすべて出させてもらっています。そのほかにも、新聞社やテレビの取材もありました。請負の仕事だけではなかなか経験できることではないと思います。そして、自社のオリジナル柄を染めて製品にしているだけでも注目されないことやと思っています。北岡教授が研究されている「錯視図形」のデザインに出会ったことが大きな転機となって、注目が集まった。なんでもある世の中で、同業他社が真似できない自社商品をつくれたことは大きな武器になりました。