令和2年4月7日に新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言が7都道府県に発令されました。その年の1月末から1週間、伊勢丹新宿本店で開催された「京都府×三越伊勢丹ものづくり事業」に参画していた時は、マスクの着用は強制ではなかった。

それから数日後に開催された丹青会に出品した時はマスクが必須。ほんの数日の間に世の中が180度変わった感じがして、僕自身、その変化に追いつけていない感覚があった。しかし、その頃には、日本の多くの都市でコロナ感染者が増えたことを考えると、接客業という仕事柄、当然の対応やったと思います。


丹青会:特別な顧客だけに招待される三越伊勢丹の催し物


京都に帰ってからはいろんな規制がかかり、出店予定やったイベントは延期から中止になり、人の集まる百貨店などは休業になりました。その影響で、展示会でお披露目する予定であった商品はお蔵入りになり、百貨店のECサイトに出品予定であった話も目処がつかず、残念な思いをしました。

もともと少なかった従来のルートからの仕事はさらに落ち込み、将来のことを見据えて、試行錯誤をして実現させようとしていた自社商品の企画も一時保留。オリジナル商品を発案し、自社で生地を染め、縫製してもらい、展示会出展や百貨店の催事などで販売をする。「従来の染めの仕事」とは違う柱を立てることを目標にしていたのが、白紙の状態になった気分やった。


その流れの中で運がよかったのは、緊急事態宣言が発令されてから間もなく、以前から話があったオンラインショップへの出品が決まったことなんです。とにかく世の中がどのようになっていくかわからない状態でほんの少しだけやけど安心しました。

 

ちょうどその頃、自社企画の手ぬぐいストールのネット販売の機会を得て、同時に弊社ホームページ上で販売告知も開始しました。この手ぬぐいストールは、「京都府×三越伊勢丹ものづくり事業」が終わった後に企画したんですが、それまでにいろいろと考えた末に、思いついた商品です。企画した大きな理由のひとつが、鷲野染工場のオリジナル商品の価格です。

ちょうどオリジナル商品を作って打ってでようと考えたのが10年前。最初は地元の手づくり市に出品できるものを作ることから始まり、もっと技術の向上に力を注ぎ、品質を上げて、デパートなどにも扱ってもらえるような商品を作る。これを、仕事を続けていくための目標としてやってきた。しかし、僕のもつ技術に加え、さらに品質にこだわって作っていれば、どうしても販売価格が高くなる。そうなると、購入してくれるお客さんは限られてしまうので、もう少し手ごろなものを作る必要があると思って企画したのが、この手ぬぐいストールです。

 

仕事が激減していく中でも「誰にも負けへんええもんを作る!」をひとつの目標にものづくりをやってきた。しかし、「ええもんを作る」ということは、材料費や道具代にどうしてもお金がかかる。腕のいい縫製職人さんに縫製をお願いもせなあかん。すると、どうしても売値は高くなります。でも、それやと商品はなかなか売れません。同じええもんでも、品質を担保して価格を抑えた商品を開発するしかない。そこで考えたのが「うちであるものの中で何が作れるか」ということです。余った生地、色糊を使い、サンプル生地を染めることでコスト削減につなげる。その先駆けとして作ったのが、この手ぬぐいストールです。

 

本音を言えば、値段が高い、高いと言うけれども、品質がよければ値段は上がる。これは、ごくごく普通のことなんやけど......。 コロナ禍は関係なしに前々から「ええもんを作って販売できる場所がなくなってきた」と感じていた。第三者からみれば、世間が要求してないもんを僕が勝手に「ええもん」と勘違いしているのかも知れへんけど。ただ、僕の中では納得がいかんことが多く、自己満足と言われようが「誰にも負けへんええもん」を作り続けていけるようにがんばっています。

 

手ぬぐいストールの販売から約3週間後に、当時手作りマスクが流行していたので、マスクの生地販売を始めました。僕の周りではマスクを作って販売している人が多かったんで、その人たちを対象にしました。

ほんで、ただ生地販売をするのではなく、会社にあった染めた生地在庫(表生地)と白生地(裏生地)を整理屋さんで抗菌加工をして、抗菌加工済みのシールも作り、ゴムも入れてセット売りをしたんです。当時ゴムは品切れ状態やったけど、仕事関係の仲間から購入できたのがラッキーでした。


※表生地には綿ブロード(メンズのシャツなどに使用されている生地)、裏生地には綿天竺(Tシャツなどに使用されている生地)を販売。


うちの強みは、白生地に他社にないオリジナル柄を深みのある綺麗な色で染められること。いろんな人にうちのオリジナル生地を使ってマスクを作ってもらいたいという思いと同時に、オリジナル柄の生地販売にもつなげたい思いがありました。SNS上の宣伝だけやったけど、反応は悪くなかったので、後日新しくオリジナル生地を染めて、マスク販売を始めました。コロナ禍のなかでも、何とか生き残っていかないかんなと思っていろいろ考えて行動した結果です。

 

そうこうしているうちに、文章表現力のない僕に、なぜか灯光舎の面髙氏から依頼があり、連載記事を書くことになった。彼のアドバイスを受けながら令和2年5月15日にWeb連載「たった一人の染工場」がスタートしました。

FacebookやInstagramに投稿するのとあわせて、それまでに名刺交換をした人の中でこの人には読んでもらいたいと思った人に報告しました。

「絶対に反応がある」と自信はありました。公開後、実際に多くの人から返信メールをいただいたときは嬉しかったです。その甲斐あって、以前、電話取材を受けた毎日新聞社の記者さんが取材に来てくださり、毎日新聞の京都コーナーの「京の人 今日の人」に掲載していただきました。この連載は大活躍、これでまた僕の活動を知ってくれる人が少しでも増えるかと思うと嬉しかったし、自信にもなった。

 

Web連載を読んでくれた読者からのメールの中で特に印象に残っているのが二人います。そのうちのひとりは、制作会社のディレクターさんで、フリーランスで活動された矢先にコロナ禍になり「鷲野さんの言葉に共感する部分が多くありました。YouTube他、自撮映像が氾濫している今、プロとして差別化できるものは何だろう? たかがテレビですが、良いモノ作りとは何だろうか? フリーランスになった今、切実に響いてくるものがありました。ありがとうございました」というありがたいお言葉をもらいました。

うちらの業界は年配者が頑張っている小さな業界。悲しくて、悔しいけど斜陽産業のトップを走っているのは事実です。ディレクターも同じ思いで日々闘っているんやと感じました。僕の職種とは違うけど、人々の生活や文化などを「伝える」というディレクターさんの仕事を通して、何か相互に協力しあいながら、活動していければと考えました。

 

もうひとりはあるテレビ局のプロデューサー。

「番組ではわからなかった鷲野さんの思いが強く伝わりました。京都の文化をテーマにしてきているが、まだまだ京都の上澄みしかわかってないと思った」と連絡がありました。

僕自身、京都で生まれ育ったけど、「京都」のことを知っているかというとほんまにあやしいところです。年齢を重ねるごとに今まで感じなかった京都の良さに気づくことも多くなってきたけど、その逆を知ってしまうのも事実で、京都の歴史やブランド力の凄さに甘えてるよなと仕事をしていて思うんです。周りからの過大評価を鵜吞みにせず、努力を積み重ね、成長していきたいと思っています。

 

コロナ禍の影響を受け、人の動きが封じ込められ、サンプル生地を染めて検討はしてもらうけど、「ほなお願いします」と、ある程度まとまった量を染める仕事にまで結び付けらへんかった。そのような状況下で、メディアに取り上げていただけるということは、鷲野染工場にとって大きな効果がありました。文章を書いてうちの強みを表現できることを改めて実感しました。

Web連載「たった一人の染工場」の読者は、捺染業界の関係者だけと違います。昔からの知人がたまたま読んでくれて応援してくれたり、全く知らない人から連絡をいただき仕事につながったりと、それまでやってきたこととはまた違う「縁」ができました。

京都の捺染業界のことを知らない人にとっては「鷲野染工場ではどんな人間が、どんなことをしてるんやろう?」と興味をもつきっかけになったんやと思います。そういった人には、ぜひ工場見学に来てもらいたい思いもあったけど、緊急事態宣言の中どうしようもなかった。

毎年春先に立命館大学文学部京都学専攻の学生さんがフィールドワークとして手捺染体験に来社されるのが恒例となってたけど、その年はリモートワーク。初めてのリモートワークは誰に向かってどのように話をすればいいのかわからなかったし、染めた生地やオリジナル商品を画面越しに見せても、学生さんに伝わっている実感は全く得られなかった。

 

例年なら学生さんに工場に来てもらって、作業現場の広さや工場内に漂う匂いなどを体験し、肌で感じてもらっていました。本来の実習講義では、捺染の難しさや楽しさを経験してもらい、自分で染めた生地と他の人が染めた生地とを見比べたり、オリジナル商品に直接触れたり、五感を通して何かを感じてもらう。しかし、画面越しでそれはかないません。実際に現場に立って触れるということは、リモートとは全く違うものを伝えることができるんやと強く思ったし、コロナ禍でも対面の重要性を強く感じた瞬間でした。

それと同時に、ネット販売が中心の時代に、写真や文章だけでは伝わらないことをどのようにカバーしてオリジナル商品を販売していくか、ということも課題になってます。

 

少し話はそれてしまいますが、繊維業界の中でも捺染をわかる人は少なくなってきているから素材の評価ができなくなってきている。そして、今のところ従来のルートの仕事が増えることはほとんど期待できません。その中でどう生きていくのか、どうやって自分の仕事の命脈をつなぐのか。

僕は、先細りの業界に身を置きながら、さまざまなことを考えて、もがきながら、今までやってなかったことに打ってでました。そのひとつがオリジナル商品を作っていくことなんです。そしてその実現のためには、「人との縁」が重要なんです。コロナ禍になる前から、いろんなことに挑戦をして、それまで出会うことがなかった繊維業界の人や繊維業界以外の人との人間関係を築くことができた。自分が出来ないことや足りない部分は誰かに助けてもらう。そして、前進する。「今だけ、金だけ、自分だけ」の考え方では、「人との縁」は短命になり次にはつながらないんです。

 

もの作りに人と人のつながりは絶対必要やと思うし、物を誰かに届ける、販売するという「商い」には、人間関係を成り立たせる会話が大事なんやと思うんです。「新しくこんなん入りましたよ」とか「こういうの使いやすいですよ」という何気ない会話があって、お客さんと物がつながる。

正直、そういうコミュニケーションのなかには面倒なこともありますが、そういうものが失われていく社会であるとするならば、それはそれでとても寂しいなと、ふと思うんです。そういう会話があるから、物を提供する側も勉強する。ただ商品を並べるだけちゃいます。お客さんに届けたいから商品知識を頭に入れておいたり、商品を見たときに具体的に顧客の顔が浮かべたりするような、提供する人が物とお客さんの間にちゃんと存在する。先ほど、ネット販売が中心の世の中になったといいましたけれど、その流れのなかでも「人が見える商い」もしっかり残ってほしいなと思います。

 

コロナ禍によっていろいろなことを経験したけれど、原点に戻って人間関係を作ることが、どの時代にも必要ではないかなと思う。それが人間を成長させてくれるとも思うんです。